53歳女性継続は力なり

私は50歳代の女性です。小学校の頃テレビ番組で海外ドキュメントを見ていました。内容は戦地で働く看護師のドキュメントでした。
包帯をテキパキ巻く看護師さんに、憧れました。いつか私も大変な場所で頑張れる看護師になりたいと思ったものです。
その夢は中学生も続き、普通校に進学し、進路を決める時期がやってきました。
いざ進路を決めるとなると、様々な情報が入ってきて心が揺らぎました。両親にも看護は大変な仕事だからと反対されました。
公務員試験も受けて見ましたが、私には向いていないことが判明し、結局は、正看護師を目指して受験しました。三校受けましたが不合格になりました。
准看護師の試験を受けて、合格し、住み込んで働く場所が決まりました。
両親は正看護師の試験落ちた時点で、看護師は諦めていたと思っていたようで、私が高校の先生と進路を決めてきたことに驚いていました。
私の住み込みでの看護生活が始まりました。当時は仕事をしながら学校へ通うのが普通でした。私の住み込んだ病院は産婦人科で、通常の時間勤務に、半日学校、夜勤、時間外にはお産に呼ばれ、半日休みは洗い物のお手伝いがありました。とりあえず准看の資格を頂くまで、二年間頑張りました。当時は御礼奉公というシステムがあり、一年間同じ病院で働きました。産婦人科での仕事では、包帯も上手に負けるようにならなくて、内科や外科のある病院に就職しました。
授業では習っても、実践産婦人科では、正直役立たずもよいところでした。同世代でも、学生時代内科や外科を経験した人に比べたら、本当に全くの新人でした。
人間関係にも悩みました。今から思えば自分が未熟だったことが大きな原因の一つにもなりました。
そんな時、知り合いから進学を勧められ、正看護師の免許を取るため、進学することにしました。
無事合格したものの、勤労学生の生活が再び始まりました。正直きつかったです。
看護学校卒業と共に結婚し、看護の道を中断しましたが、7年のブランク後再就職しました。又違う環境で、ブランクもあり人間関係に悩み、3年弱働きましたが、もう看護の世界では生きていけないとおもうほどに打ちのめされていました。
退職後他の道も考えましたが、やはり私には看護の仕事しかなく、また違う病院に就職しました。
その病院は、家庭的で、優しい看護師さんが沢山いました。人が変わっても人間関係が比較的良い病院でした。
やっと自分の居場所を見つけたと思いました。10年超えて働かせて頂き、包帯もテキパキ巻けるようになりました。
救急病院なので、鍛えられた部分は沢山ありました。継続は力なりということも実感できました。
体力的問題で、退職しましたが、職を離れても、医療の世界に触れつつ、生きていきます。